徒然もの書きぱん

適当にアニメとかについて書いてます。今期は何について書きましょうか。

アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』の感想と考察 ~想いは言葉にしなくても重い~

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はじめに

 こんにちは。

 心が叫びたがってるんだ(略称:ここさけ)を見てきました。前情報はほとんど入れずに見に行きましたが、内容理解に苦しむ事無く見ることができました。ネタバレが前提となります。それでは書いていきます。
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感想

 まず感じたこととして、とてもおもしろかった。「見たほうがいいか?」と聞かれれば、「見たほうがいい」と答える。この映画によって考えさせられ、心に残るものがあったからだ。

言葉というテーマ

 主人公の発言のせいで家族がバラバラになり、父親の発言が原因でトラウマになって喋れなくなる。そのトラウマを乗り越え、喋れるようなるまでを描くストーリー。

 人が生きていくうえでほぼ必須となる会話。そのコミュニケーションの言葉の重みとありがたみについて言及した本作。発する言葉によって人を傷つけることもあれば、発する言葉によって人を喜ばせることもある。その誰もが体験したことのある事象について考えさせられた。ミュージカルという題材も活かされており、クラスの一体感を表現するのにも適していたように思う。

 誰もが一度は経験したことがあるからこそ、この物語の内容を受け止めることができた。決して他人事にはできない過去があったはずである。だからこの作品の説得力が増したのだと思う。

言葉にする重みとしない重み

 序盤、拓美や大樹が不用意に暴言によって相手の心を言葉で刺し、相手の心に傷をつける。それを言葉の重みと恐怖を知っている順が、数少ない言葉でみんなに訴える。みんなが言葉の重さを知り、順の行動によって変わっていく過程がよく描かれていた。

 それに加えて、拓美の言葉が印象に残っている。順への「言葉にしなくても言いたいことがわかる」という言葉と、菜月への「言葉にしないとやっぱり伝わらない」という言葉である。順の考えていることは顔を見ればなんとなくわかる。しかし、表に出す感情を制御できる菜月のような人ほど言葉にしないと気持ちが伝わらない。自分の言葉を発する勇気が必要であるということだ。

 言葉にする勇気があるのと同時に言葉にしない勇気もある。菜月が拓美への気持ちを口にしないことで関係を続けること。言葉にしないことによって継続しており、言葉にすることによって明確化する。自分の気持ちを押し出すことが勇気であるのと同様に、自分の気持ちを押しとどめて応援することも一つの勇気である。言葉は口にしてもしなくても、想うだけで重みがある。

不満:順の両親

 娘によって人生を変えられ、その罪を娘になすりつけようとする父親。娘がしゃべれないことを恥ずかしいと思い、そのことをひた隠しにする母親。この二人が居たから物語が始まった。しかしこの二人から物語を始めてほしくなかった、というのが正直な感想である。

 大人は自分たちが精神的に大人だと思っていない。いつまでも子供のような思考をしているし、そのことに自分たちも気づいている。だから子供から見た大人というのは一つの偶像なのではないかと思う。

 精神的には大人はただの子供であるからして、両親が心をむき出しにする気持ちもわからなくはない。だが、それを子供に見せつけないで欲しい。自分の子供の前でぐらい、その偶像を守りぬいて欲しかった。

まとめ

 作品としてかなり満足できる内容だった。自分の過去とも何かしらリンクする部分があり、見ていてとても考えさせられた。

 高校生の恋愛が一本の軸になっており、本心を言わなければ伝わらないという事実と本心を言うのは恥ずかしいというためらい。これらがもたらすコミュニケーション不足。今後ずっと関わってくる問題であり、人生のテーマのひとつであるとも言える。そんな普遍的なテーマだからこそ面白かったのだろう。

 加えて、最大の軸となる家族の問題。距離が近いからこそ、言わなくてもいい一言と言ってしまった一言の重さがある。恋愛とは異なり、これからも関わっていく関係だからこそ、一言が余計に重い。母親がミュージカルによって、そのことに気づけたらいいなと思う。

 もう一度見たい。また見に行きたいな。

「心が叫びたがってるんだ。」オリジナルサウンドトラック

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  • アーティスト: サントラ,コトリンゴ,仁藤菜月(雨宮天),相沢基紀(大山鎬則),成瀬順(水瀬いのり),坂上拓実(内山昴輝),清浦夏実,ミト,横山克,岡田麿里,岩木寿則(古川慎)
  • 出版社/メーカー: アニプレックス
  • 発売日: 2015/09/16
  • メディア: CD
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心が叫びたがってるんだ。 1 (裏少年サンデーコミックス)

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小説 心が叫びたがってるんだ。 (小学館文庫)

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~以下簡単な考察~

考察

 ここから本作で気になった点について考えてみる。

玉子

 本作で順の言葉を封印した玉子。玉子が執拗に口にしていた黄身と白身という言葉が引っかかった。

 心がおしゃべりになってくると殻が割れる。殻は外部へのアウトプットを指していると思われる。アウトプットすればするほど殻が割れる。
 それに対して黄身と白身。あれが何を指しているのかが示されていなかったように感じる。単純に考えるならば良心と悪心だろう。それが混ざり合って収集がつかなくなる。それを避けたかった。

 もしくは、黄身=君=心。つまり魂を表している。また、白身は魂魄の魄。つまり肉体を表している。
 外部からの刺激によって、心と口が連動することで殻が割れていく。しゃべりたい、伝えたいと思うほど、心と体がつながっていくのではないだろうか。

追記(2015/10/21)

自分のTwitterに投稿したものを掲載します。


 心が叫びたがってるんだ。の玉子についてふと思ったことをただ書き連ねる。

 まず玉子であって、卵でないことについて。“明確な基準はないそうですが、一般的に、生物学的な意味での「たまご」=卵、食材としての「たまご」=玉子という使い分けがされているようです。”ref(https://t.co/xJYUzUQ93q)。食用のたまごは玉子らしいですが、ここでは卵=変化前、玉子=変化後という捉え方をしたいと思います。つまり生まれたばかりの状態を「卵」、生まれて時間がたった後の状態を「玉子」とします。この理由については、人の心は外部からの影響によって加工されるからです。あの玉子が出てきたということは、順の心は加工され、ぐちゃぐちゃになっていた。“軽度”のスクランブルエッグ状態になっていたといえます。そこで言葉を封印することによって、“重度”のスクランブルエッグにならないようにしていたのだと思います。

 ここで考えなければならないのが、スクランブルエッグについて。つまり白身と黄身についてです。ここについて2通りあると思いました。

  • ①人の言葉によって心をかき乱されるとスクランブルエッグになるため、白身と黄身は「心」を表す
  • ②かき乱されるのは言葉であり、白身と黄身は「言葉」を指す

 まず①について。心がスクランブルエッグになるとは、良心と悪心が混ざり合った状態。心というものは割り切れないものであり、複雑に感情が絡み合っています。醜いそれを表に出さないようにするための殻であるということ。殻はしゃべらないことだが、作中ではしゃべれないこととして描かれていました。順は「しゃべりたいけどしゃべれなかった」のか、それとも「しゃべりたくないからしゃべらなかった」のか。ここについては後者が前者に遷移していったような形であると思います。醜い何かを出すからしゃべりたくなかったのが、次第にトラウマによりしゃべれなくなっていた。

 次に②について。こちらの方がわりと腑に落ちる。画像のように言葉というものは4つに分類される。スクランブルエッグになるということは、自分の中でこの言葉の線引ができなくなるということだと思います。
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順は父親の浮気現場を見て、それを母親に報告する。順にとっては父親が城から出てきたというポジティブな言葉。しかし母親にとって浮気をしていたというネガティブな言葉。言葉は出し手と受け手によって意味が異なる。そのためこの線引が両者でとれないということは人を傷つける可能性が高くなる。順はその経験を踏まえ、言葉を口にすることを制限したのだと思いました。溢れ出てくる言葉とそれを押し留める理性としての殻。殻が破れるということは喋りたいという欲求が勝っている状態であり、にじみ出てきた血は喋ったことにより相手を傷つけるという代償であると思いました。喋ればしゃべるほど傷つく。その考え方をラストの坂上によって変えてもらい、ポジティブな言葉によって傷つけるだけではなく、ポジティブな言葉がポジティブに伝わる。そのことで相手を喜ばせることができることを思い出したのではないかと思います。

 結局②の言葉を感情と置き換えれば①と同じになるので、それこそ定義の問題だと思います。好きに楽しみましょう。というわけで以上です。

順の心の動き

 順の幼少期から再度喋れるようになるまで、心の中で言葉の持つ意味が変わっていったのだと思う。

 幼少期:自分の発する言葉で人が不幸になるとは考えておらず、順は言葉を選ぶこともせずに発言していた。
 青年期:それが父親の浮気を浮き彫りとし、家族を崩壊させてしまった。言葉を使うことによる恐怖により言葉を発することができなくなる。
 ホテルにいる時:拓美の気持ちを知ってしまい、嫉妬や友情で感情がぐちゃぐちゃになる。溢れ出てくる感情を抑えることができなくなり、言葉が使えるようになる。(おそらく、その代わりに歌えなくなっている。)
 ラスト:言葉が与える勇気といったポジティブな感情を知り、歌うことができるようになる。

 また、拓美の気持ちを知った際に逃げた理由は拓美と菜月の気持ちを知ったからだけでなく、自分を励ましてくれた「言葉にしなくても言いたいことがわかる」という言葉が否定されたからではないかと思う。拓美を思う順の気持ちは伝わっておらず、拓美の言葉が本当に成りへなかったことも要因であると思われる。
 歌が歌えなくなったと考える具体的な根拠はいまのところない。拓美と菜月の関係を聞いただけで逃げ出すとは考えにくいという状況証拠しかない。再度視聴して思うことがあれば書こうと思う。

田崎大樹の序盤の悪役について

 この映画を見ていて思ったことだが、序盤に大樹が悪役として描かれすぎている。そこに理由があったのではないかと考える。

 大樹は威厳のある存在であり、自信を持っていると考えられる。心身ともに強い人間であったことを印象づけている。
 重要なポイントは、大樹が改心することでではなく、強い人間である大樹が言葉という針を受けることで自信を失うことであると思う。弱気になっている部分を突かれることで、簡単に自信が崩れ去ってしまう。その姿を描きたかったのではないかと思う。
 単純なお涙頂戴がやりたかったのであれば、このような悪役を据える必要はなかった。

歌うことと話すこと

 なぜ歌えるのに話せないのだろうか?

 歌うことはひとりでできる。話すことはひとりではできない。この違いなのではないかと思う。
 歌は一方通行であるのに対し、話すことは双方向である。つまり話すことは相手を必要とする。腹痛の原因がコミュニケーションをとることであるとするならば、歌はそれを免れているのではないだろうか。相手に合わせなくていい。それが歌える理由なのではないか。

考察まとめ

 ささっと感じたことを書き出して、それについて考えてみました。玉子について、歌うことと話すことについて、に関してはもう少し言及したほうがよいかもしれません。もう一度見て、思うことがあれば考えたいと思います。



原作:超平和バスターズ
監督:長井龍雪
脚本:岡田麿里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
音楽:ミト(クラムボン) 横山 克
演出:吉岡忍
美術監督:中村隆
プロップデザイン:岡真里子
色彩設計:中島和子
撮影・CG監督:森山博幸
編集:西山茂
音響監督:明田川仁
企画・プロデュース:清水博之、岩田幹宏
プロデューサー:斎藤俊輔
アニメーションプロデューサー:賀部匠美
製作代表:夏目公一朗・植田益朗・清水賢治・中村理一郎・久保雅一・落越友則・坂本健
製作:「心が叫びたがってるんだ。」製作委員会(アニプレックス/フジテレビジョン/電通/小学館/A-1 Pictures/ローソンHMVエンタテイメント)制作A-1 Pictures
配給:アニプレックス
宣伝:KICCORIT